高橋尚子選手の引退に思う
栄光あり、挫折ありの壮絶な競技生活だったと思います。
私は高橋選手はとても好きでした。
基本、強い人が強くあるのが好きですが、彼女の選手としてのプライドもとても好きでした。
『プロとしてマラソンの競技会に立てない、と判断したからやめる』
賛否両論なのかも知れないですが、残念ではあるけれども私は気持ちがわかる、と思いました。
私自身、バレーボールを20年以上続けていて、その中でもうボールは打たない、と思った時期がありました。
自分の思っている、自分の理想としているアタックが打てなくなったときです。
学生バレーですから、高校の時はいわば油の乗り切った状態で卒業します。
なので、自分で『辞める』と選択するわけではないのです。
やる場所を失う、状態です。
実業団なんかに入ったわけではありませんから、「まだやり足りない」状態で辞めました。
そして8年後にママさんバレーをはじめたわけです。
26歳でママさんですから、まだまだ体力は有り余っています。
ネットは低いし、他のプレーヤーは年上ばかりだし、面白いようにアタックが打てます。
高校時代の勘を取り戻す前の段階でもかなりできるわけです。
しかし、ママさんバレーでのピークはやはりあるし、ママさんバレーは卒業はありません。
いくらでもできるわけです。
私も30歳前後でピークを多分超えたんですね、きっと。
アタックが自分の思っているものと微妙にずれが生じ、おかしいと思い始めるわけです。
こんなはずじゃない、何かが狂ってるな
まわりはまだ気づきません。自分だけなんです。
ほんの数ミリのずれなんですもん。
練習をしていて、できるものが数ミリ単位でできなくなってくるんです。
それがはっきりとピークを過ぎたんだ、と思った瞬間にバレーを辞めよう、と思いました。
現実はその後1回ホントにバレーをやめて、今は復帰しています。
ピークを完全に超えて下り坂一直線の状態で、老獪なプレーを目指して奮闘しています。
いや、高橋尚子選手の話なんですけど。
自分の話になってしまった。
アマの私でもピークを超えてやることへの葛藤があるって話だったんです。
高橋選手は、会見はとても立派だったと思います。
記者会見でありがちな追い詰めるような質問がなかったのも、彼女の今までの姿勢と人柄のおかげなんですかね。
長い間ご苦労様でした。
これからも、陸上とかかわっていくんだろうな。
ずっと走ってほしいものです。
| その日のできごと☆ | 11:19 | comments:8 | trackbacks:0 | TOP↑