天国へ旅立った父
寝たきりでいた父が天国へ旅立ちました。
先月のある日。
母が介護疲れで倒れてから、老人ホームでお世話をしていただいていた父。
母は週に3~4日は通って父とすごしていましたが。。
「お父さん、弱ってる」と言い始めていました。
その数日後には、お医者様から数日がヤマというお知らせが。。
容態が変わり、今夜かも・・・という日から仕事もお休みをいただき
父のそばで過ごしました。
一晩は持ちこたえ、明け方には小康状態になりましたが・・・
その夜。
逝ってしまいました。
ずっと父のそばにいたのに、私が娘を迎えるために、ほんの数時間
自宅に帰っている間でした。
きっと父が私の最期の辛い瞬間を見せたくなかったんだろうと思っています。
母と兄が最期の瞬間を看取りました。
私が到着したときは、まだ父はあたたかく、とても穏やかな表情でした。
父が寝たきりになり、胃ろうになり、3年。
一緒に暮らすようになったおととしの夏には、もうほとんど自力では何もできず
引っ越したこともわかっていたのかわかりません。
でも、母と孫と、近所に住む兄弟家族がしょっちゅう遊びに来て、
今年のお正月も、一時帰宅をして、ほんの少しだけ、栗きんとんを食べて・・・。
声をかけても反応がほとんどなかった父が、少しだけ微笑んで。
それが最期の父の笑顔でした。
今は、告別式も終わり、小さくなった父は帰ってきています。
母は毎日毎日、何回も何回も声をかけています。
これから、父という後ろ盾が本当になくなり、
母と兄弟家族と一緒に生きていかなければなりません。
頑張らないと、と思います。
母を支えないと、と思います。
でも一人になると、まだ時々涙が出ます。
お父さん、ご苦労様でした。
ゆっくりと休んで、お母さんを見守ってやってくださいな。
先月のある日。
母が介護疲れで倒れてから、老人ホームでお世話をしていただいていた父。
母は週に3~4日は通って父とすごしていましたが。。
「お父さん、弱ってる」と言い始めていました。
その数日後には、お医者様から数日がヤマというお知らせが。。
容態が変わり、今夜かも・・・という日から仕事もお休みをいただき
父のそばで過ごしました。
一晩は持ちこたえ、明け方には小康状態になりましたが・・・
その夜。
逝ってしまいました。
ずっと父のそばにいたのに、私が娘を迎えるために、ほんの数時間
自宅に帰っている間でした。
きっと父が私の最期の辛い瞬間を見せたくなかったんだろうと思っています。
母と兄が最期の瞬間を看取りました。
私が到着したときは、まだ父はあたたかく、とても穏やかな表情でした。
父が寝たきりになり、胃ろうになり、3年。
一緒に暮らすようになったおととしの夏には、もうほとんど自力では何もできず
引っ越したこともわかっていたのかわかりません。
でも、母と孫と、近所に住む兄弟家族がしょっちゅう遊びに来て、
今年のお正月も、一時帰宅をして、ほんの少しだけ、栗きんとんを食べて・・・。
声をかけても反応がほとんどなかった父が、少しだけ微笑んで。
それが最期の父の笑顔でした。
今は、告別式も終わり、小さくなった父は帰ってきています。
母は毎日毎日、何回も何回も声をかけています。
これから、父という後ろ盾が本当になくなり、
母と兄弟家族と一緒に生きていかなければなりません。
頑張らないと、と思います。
母を支えないと、と思います。
でも一人になると、まだ時々涙が出ます。
お父さん、ご苦労様でした。
ゆっくりと休んで、お母さんを見守ってやってくださいな。
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